(8)

[(注)この章の前半部分は、一部フィクションです。]

あそこは桑名なのか、四日市なのか…
今となっては、よくわからないが…
その場所では、運命的な出会いが僕を待っていた。

この旅の行く末を大きく左右する、出会いだ。

マメと戦い続けて、もうろうとする意識の中で、でっかいクジラが目の前に現れ。

「クジラだ!」

正確に言えば、クジラの看板だ。
とにかく、クジラが僕を見つめて、こう言った。

「アミーゴ、中にお入り」

僕はクジラに言われるままに、クジラの看板をかかげた謎のお店に入っていった。

お店の入り口のところには、たくさんのママチャリがあった。
値札を見てみる。
どれも¥8800くらいだった。

クジラの看板なのに、自転車が置いてある。
ここは何の店だろう、と思ったら…
どうやら、ディスカウントストアみたいな、リサイクルショップみたいな、そんなお店らしかった。
掘り出し物を探す気力はなかったので、すぐに立ち去ろうとした。

そのとき。

「待って!行かないで!」

という声が聞こえた。
なんとなく、振り返ってみると、そこには小さなマウンテンバイクが、一つ。

僕「今、僕を呼んだのは…君かい?」
Mバイク「そうだよ、僕だよ。」
僕「君も商品なのかい?」
Mバイク「そうだよ。」
僕「でも…、君には値札がついてないじゃないか。」
Mバイク「お店の人に、聞いてごらんよ!」
僕「わかった。」

だが、その前に気になったのは、
この小ぶりのマウンテンバイクの隣に普通のマウンテンバイクがあり、それには値札がついていて¥18000だったことだ。
破格の安値なら買ってもいいが、そりゃ無理ってもんだ。
聞くまでもないか、とは思いながらも、少しだけ期待…。
このとき、僕は、もしも一万円を切るようなことがあれば、購入も考えるつもりだった。
店員の回答は、こうだった。

店員「それは¥4000です。消費税を入れると¥4200ですね。」

と言った。

あら!まあ!安いじゃないのちょっと!

そして僕は、このマウンテンバイクを買ってしまったのだった。

「これで、帰れる!」

このときは、そう思った。

←これが購入したマウンテンバイク。名づけて、あまチャリ。


自転車というものを発明した人は、偉大だと思った。
なんて、なんて早いんだ!
自転車に乗ってからの僕は、それはもう気分爽快で。
とにかく、早いんだこれが。
そして何より素晴らしいのは、マメの激痛から解放されたことだ!
すごいよ、自転車はすごいよ!

国道1号線に沿って走るだとか、旧東海道の位置を把握するだとか、そんなことはこのときは関係なく、
ただひたすら走りまくった。気がついたら、桑名を通り越えていた!

「ほんとに早いぞ!」
「これ、今日中に静岡に着いちゃうぞ!」
それは無理だった。

←木曽川越えは、あまチャリで!

勢い的には、そんな気分がしばらく持続した。

辺りがまた、暗くなってきたのは、その頃。
体がまた、震え出す…

「そうだ、風邪引いてたんだっけ…」

自覚すると、震えは倍増していくからほんとに困る。

真っ暗にならないうちに、僕は上着(安いやつ)を捜すことにした。
今晩もレインコートで過ごしてもいいんだが、新たな気持ちになりたかったのかもしれない。
たまたま見つけた、古着のドクロ長袖シャツ。ドクロだろうがこの際なんでもよい。買った。¥600。
暖かい。

辺りはすっかり暗くなった。

名古屋って、もしかして広い?ということに気づき始める。
走っても走っても、街中までたどり着けない。
さらに、暗くなってから気づいたこと。あまチャリにはライトがついていなかった。

「ライトを買わないと、やばいなぁ」

そうして、やっと名古屋駅に到着。
さっそく東急ハンズでお買い物。
買ったのは、ライト、カギ、電池、ドライバー。
お腹がものすごく減ったので、あまチャリをバージョンアップさせてから夕飯を食べることにした。

名古屋と言えば!

そう、名古屋と言えば、あれだ!味噌カツだ!

味噌カツを食べよう!

と思ったが、いいお店を知らなかったし、高い店ばかりだったので、やめた。

「やっぱ、まつやでいいや。」

特盛が¥440とお得だったので、まつやで夕飯となった。
まつやを出てから、薬局を探した。いよいよやばくなってきた。
風邪薬(新エスタック12)を手に入れてから、今晩はマンガ喫茶でゆっくり休むことに決めた。
そして、金山へ向かうことにした。
ところが大須に来てしまった。名古屋の構造がよくわからず混乱。

←ぶれちゃったけど。夜の大須。

ぐるぐるまわってようやく金山に到着。そして発見!マンガ喫茶。
しかし、なかなか料金体制がよろしくなく、一晩休むのは気が引けた。
他を探す。見つける。今度のは24時間制ではなかったが、料金的には問題なかった。

「ここでいいや。」

このときPM8:30。
閉店時間の朝の2時には出る必要があるが、それまでは休める。
この旅始まってから、初めての睡眠休憩。やっと、眠れると思いながら、マンガ喫茶に侵入した。

なんでもいいのでマンガを取ってきて、それを枕にしようとしたら…。

「おお!こりゃアウターゾーンじゃないか!」

アウターゾーンを発見した。
懐かしい気持ちになり、ついつい読み始めてしまった。
注文したレモンティーをすすりながら、アウターゾーンを読み進めた。
3巻くらい読んだところで、飽きた。
その後、アウターゾーンを枕にして、今度こそ眠りにつこうと思ったその時。

「あ!こ、これは…死神くん!」

死神くん、である。えんどコイチの、死神くんである!
死神くんである!
また懐かしい気持ちになり、ついつい手にとり読み始めてしまった。
巻中の読者アンケートに、死神くんで好きなお話ベスト10!みたいなのがあった。

「このべスト10のお話を、全部読んでから寝よう。」

死神くんはおもしろかった。感動しっぱなしだった。
ベスト10の話を全部探し出して、読んだ。
なんだかよくわからないけど、とてもとても気持ちが満たされた。
風邪薬を飲み、レモンティーを飲み干した。

そして、死神くんを本棚に返そうとしたら、その隣のマンガがふと目に飛び込んできた…

「こ、これは・・・そんな、まさか・・・」

つ・い・で・に・と・ん・ち・ん・か・ん・・・!

ついでにとんちんかんである!えんどコイチの、ついでにとんちんかんである!
小学生の頃大好きだったマンガだ!
目にしてしまった以上、読まないわけにはいかなかった。

ぬけさく先生、あまちくん…
あまちくんだ!
僕はこのあまちくんのせいで、友達からずーっと「あまちくん」「あまち」と呼ばれ続けた。
そうだ、忘れもしない。これが本物のあまちくんだ!オリジナルだ!


そうしてふと気がつくと、時間はAM1:30。
ボーっとしたあたまのまま、マンガ喫茶を後にした。

「どういうことだ…けっきょく寝てないぞ…」

このときの僕には、[悲壮]という言葉がお似合いだったことだろう。
マンガに支配された自分のこころを悔やみながら、震える体を押して、金山をあとにした。
ここからが短いようで長かった自転車の旅の始まりだった。



(9)
とりあえず、豊橋まで行こうと思った。同じ愛知県内だし、すぐに着くんじゃないかなぁとか思っていた。
おばか。
ライトをまだつけていなかったので取り付けようと思ったら…
「あれれ、これドライバーがないと無理だよ」
ということに気づいた。
金山をスタートしたばかりだというのに、いきなりショック。
熱田駅?神宮前駅?とかいう駅の近くにローソンがあったので、そこでドライバーセットを購入、やっとライトを取り付けた。
さあ、今度こそ行くぞー!
名古屋だ、道路が広い!すがすがしいー!

迷った。

とりあえず走り続けたら、どうやらこの道はもうじき名古屋港につく様子。
「なんかこっちじゃない気がする」

すっかり見失った国道一号を探すことに。
どこだどこだどこだー

あった、ここだー

なんか知らないが、ものすごく国道一号からそれていたようだ。
もう、ここからは延々と自転車こぎ。
けっこう道が上下したりして、大変だった。
途中、桶狭間合戦跡が目の前に…
「行きたいけど…道が急坂すぎて今の僕にはとてものぼることはできそうになくおまけにこんな時間にいったらお化けがでるんじゃないかな」
と思ったので、今回はやめといた。

深夜はトラックが多くて怖い。昨日の今ごろは死にそうな思いをして大平原を歩いていたなぁ…とちょっぴり感傷的になった。
で、やっぱり今日も寒かった。風邪薬が効いてないのかな…不安になった。
あまりにも寒くて、1回休憩をとることに。勝手にカタカタ震える僕の体、おもしろい。すごい凍えてるじゃん!
ファミマであつあつのカップラーメン。
食べてるときはよかったが、食べ終わったら元通りの寒さ。あんまり意味なかった。
そして再び走り始めた僕とあまチャリ。風が強い。熱が奪われて行く。はははー、おもしろいや。

と、自分に言い聞かせた。

心の中では「お前そんな死にそうな顔しておもしろいはないだろうよ」「おもしろいもん!」「うそだろ」「うそじゃないもん」
とかいうのがずーっとリピートしていた。
二日連続で死にそうな夜越え…参ったなぁほんとに。
時々、死神くんが僕のあまチャリの後ろにのってるような感覚になった。
ああ、人生最後のマンガが死神くんと、とんちんかんとはな…まあ悪くはないか…



   ほら、ご覧よ死神くん…もうぐ朝が、くるよ…ほら、夜明けだ…
   僕のたましいを持っていくのだろ?いいさ、そうしてくれよ。さっさともっていってくれよ。

   死神くん「駄目だよ、生きなよ。あんたはまだ死ぬ運命じゃないんだ」
   そんなこと言わずに、楽にしてくれよ。

   死神くん「だめだ、あんたは生きるんだ、こういちくんのために」
   なんだよ、だれだよこういちくんて…



それにしても、眠い。
すっかり朝になったので、妄想をストップさせて吉野家に入った。
眠い。
眠い。
時はAM5:30。意識はもうろう。近くに新安城駅があるらしい。そうか、まだ豊橋にもついてないのか…急にグッタリした。
牛丼はとてもおいしかったけど、眠くてたまらなくて、困った。
眠い。

再びあまチャリにまたがる。こぎだす。

そして初めての体験、やった人ならわかるあの恐怖…なんと、自転車に乗りながら眠ってしまった。
転倒する寸前に目を覚まし、「うぎゃあ」と弱く叫んでだらしなく横転。

危なかった。確かに眠くて仕方がなかったけど、まさかほんとにこぎながら寝るとは思わなかった。

やばい、眠い、眠すぎる。

よし、寝場所を探そう。ということになった。

ここからは、五秒ごとくらいに頭をブルブル振りながら移動。こんなにも眠いことは、滅多にない。
覚えてる限りでは、小学生の頃の大晦日、
絶対に寝ないで年越しするぞ、とか思いながら、紅白を見てたらいつのまにか寝てしまっているという、あの頃までさかのぼる。

すっごいよこれ、すっごいよ、ふらふらだよ!はははー

「あべのかーわーせーのー、みずーすーみーてー…」
静岡市中田小学校の校歌を歌ったりしたが、どうにもふらふら。
そうか、睡眠もあまりとらずに二日間ひたすら運動し続けると、人間はこうなるんだ!これはまさに、どうにもふらふらだ。
すごいやエジプト文明!すごいや奈良の大仏!すごいや桶狭間!

それからなにやらでかい川を渡った。
そしたら、でかいお城が見えてきた。
ここで寝るべきだ、寝たほうがいい。
僕はお城の下で、眠りについた。

←後で調べたら岡崎城の近くでした。


(10)
寒い…

眠りについてどれくらいたったことか、僕は寒くて目を覚ました。
時間を見たら、AM8:30ほど。あれ、あんまり寝てないぞ。
でも、眠気はなくなったかも…というよりも、すっかり凍えて体がどうもおかしい。参ったなあ
まあでも急いでるわけだし、またあまチャリにまたがり出発した。
頭痛もひどくなった。頭痛なんて、すごい久しぶりだ。懐かしいするどい痛み。
しかし…
夜明けまでに豊橋までつく予定だったが、ぜんぜん駄目だった。豊橋って、もしかして名古屋からけっこう離れてるのか?

知らない場所を走るのには、やっぱり明るい時間の方が断然に楽しい。
すがすがしくない朝だったけど、陽の光をあびる喜びをかみしめながらあまチャリをコギコギした。
太陽はあったかい。

で、岡崎を出てからは、しばらくずーっと、なだらかーな登り坂が続いた。
しんどい。正直これはしんどいぞ。がんばれ、あまチャリ。ミシミシギーコギーコいってる。壊れないでよね頼むから。
名鉄名古屋本線だったか、岡崎あたりからは線路沿いを進むような形になった。

普段、バイク(原付ですが)での移動が多い僕は、坂道の辛さというものをすっかり忘れていたようで。
しばらく進むと、[新箱根入口]とかいう標識が見えてきた。

「へえ。え、箱根!?」

箱根はもっと関東よりだと思ったけど…あれ?いつの間に?
そうか、よくわからないけど、どうやら僕は山を登っていたようだ。
坂道なのも当然と言えば当然だなあ。でも、箱根って、こんなにもなだらかな山だったのかなあ。
で、こんな山の中の、なんとかっていうお寺の中に、新撰組の隊長らしい、近藤さんとかいう人の首塚があった。
隊長さんなのに、こんなにひっそりとしていていいのかな、とか思ったけど、新撰組をよく知らないので妄想が働かず。
このお寺、家康ともなんか関わりがあるようで、あまりゆっくりできなかったのが少し悔やまれたが、先を急いだ。

←途中で発見した、トラックだらけのドライブイン「まんぷく」

どうもおかしいのは、この辺りを自転車で移動している人に、ただの一人にも出会うことはなかったということ。
なんで?
歩道も右に行ったり左に行ったりで、けっこう大変だった。車はめちゃめちゃ行き交ってるのにな。

そんな新箱根?、なかなかこたえる2時間だった。
やがて登り坂道は下り坂となり、楽チン走行。

峠を降りて、しばらく走っていると、ものすごい久しぶりにコンビニを発見した。
ミニストップ御油店だった。やっとのやっと、豊橋の手前、御油宿へとたどりついたのだ。
さっそくミニストップでお昼。買った物はカレーパンとカロリーメイトと、お茶。
時間はAM11:00。
乗り始めた頃は、快適だったはずの自転車移動。この2時間の坂道で、すっかり疲労してしまったが、
ミニストップのおかげでだいぶ回復した模様。
さあて、出発だ。今度の今度こそ、豊橋だ。

ビュンビュン、ビュンビューン。

自転車をこいでいると、たびたび無心になる。

ついに僕は、豊橋市役所の前まで来た。橋を渡る時に見えたお城は吉田城というものらしい。
やっと着いたよ…と、感激していた。
しかし僕は大事なことを忘れていたことに気づいた。

「僕が帰る場所は、静岡じゃん。」

豊橋はゴールじゃないじゃん。


(11)
豊橋市というのが、また嫌らしい構造をしていて僕を困らせてくれた。
どういうことかというと、迷った。

どんどんどんどん迷った。

そうしたら、

「ここはどこ、私はだれ」

という状態になってしまった。
なんでこんなことになっちゃったのかわからないが、とにかく道がわからなくなった。
僕の持っていたダメ地図によれば、ほんのすこし近道になるはずだった、わき道。
それを選び突き進んだことが僕の運命を変えたようだ。地道に国道一号を進んでいればいいものを。

「この…ダメ地図め!」

ちょっとだけ発狂した。
滅多に本を買わないこの僕が、¥1500もはたいて買ったこの本!東海道の本!
おのれの目的はなんだ?
おのれを頼りにして生きてきたこのワシを、こうも簡単に見捨てるというのか!

「もう地図なんて知るものか!道があれば自転車はこげるんだ!行くぞ」

そうして、しばらく進むと、鉄道が見えてきた。そして、駅が見えてきた。

「お、どこだどこだ?あれは何駅だ?!」

駅を見ればなんとかどのへんかわかると思った。
ところがそれは、豊橋鉄道なんとか駅。

「豊橋鉄道?そんな鉄道知らなーい」

ショックを受けた僕は、駅の名前すら忘れ、そのまま知らんぷりで前へ進んだ。
前へ?いや、もしかしたら後ろへかもしれない。

そして、また大事なことに気がついた。

「そうか、ダメ地図じゃないまともな道路地図を見よう」

それからコンビニを捜すのにもちょっと苦労したが、なんとか発見して中に入り、地図をチェック。
東へ進むべきものを、どうやら僕は南へ向かっていたらしい。

今の場所からは国道1号線もだいぶ離れているようだった。

「もう二度と近道しようなんて思わないぞー」

気持ちを新たに再スタート。
…しようと思ったら。とんでもない事態になった。

ステン。

座っていたサドルが、突然クルっと回った。
なんと、あまチャリのサドルがクルクルになってしまったのだ。これで座れなくなった。

「大丈夫、自転車は立ったままこげるんだから!」

そうしてここから、地獄の立ちこぎがはじまったのだった。
しかし、苦難はそれだけではなかった。

しばらくの間、立ちこぎで先へ進んでいたが、今度は右のペダルがグラグラしてきた。
おわかりになるだろうか?こぐたびに自転車の足がもげそうな感覚。グラグラだ。

「いやーもうやめてよー」

僕は弱弱しい悲鳴を上げた。
なんだかとっても悔しかったので、立ったまま、左側のペダルだけでこいで進むことにした。
左のペダルをこいで、右のペダルが回ってくる前に足をひっかけて戻してまた左のペダルでこいで、
立ったまま右のペダルが回ってくる前に足をひっかけて戻してまた左のペダルでこいで、
立ったまま右のペダルが回ってくる前に足をひっかけて戻してまた左のペダルでこいで、
立ったまま右のペダルが回ってくる前に足をひっかけて戻してまた左のペダルでこいで、
信号が赤になったので止まって、青になったらまた立って左のペダルをこいで右のペダルが回ってくる前に…ん?


「歩いた方が早いな」

ということに気がついたので、自転車をおりて押して歩くことにした。
このときPM2:30。
浜松まで、あと30km。日が暮れる前に浜松まで着けるか、心配になってきた。

そうして、また歩きでの移動になったわけだが、
僕は、この頃から、ものすごくシンプルな部分で、大事なことを置いてけぼりにしてきていると、思い始めた。

自転車に乗って、先を急ぐ。
それはすごくいいけれど、歩いていたときはあんなに見えていたはずの周りのきれいな景色が、
自転車で進んできた、桑名→名古屋→豊橋の旅路の中では、まったく見えなくなっていたような気がしたのだ。

ドロシーになれるとは思わないけど、
かかしやブリキやライオンや犬のトートーは、僕の周りにはこの時は見えなかった。
今こうして歩いているから、いろんな思いが巡るわけだし、考えが頭の中に閃くわけだけど、
自転車にのりながらだって、閃きがないわけではないはずだ。
先を急ぐから、閃くものが閃かないだけだ。巡るべきものもすっかり巡らない。
豊橋まで、浜松まで…
目標をもつのはいいことだけど…
急いでる最終的な目的は、静岡である演劇を見に行くことであり、その演劇を見ることは僕にとってとても大事なことだけど、
そういうものに体の全てが向かってしまうと、何かもったいない。今がもったいない。
もっと道中を楽しむためには、その時その瞬間を、しつこいほどいちいち大切にしなきゃいけないもんなんだな。

歩くって、なんかいいな。
僕はたぶん大事なことをやっと思い出せたのだろう。



そしたら、亀仙人が横でうなづき、こう言った。

「東海道中あま栗毛は、もうちょっとだけ続くぞい」


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